東京高等裁判所 平成9年(行ケ)187号 判決 1999年3月30日
東京都世田谷区用賀四丁目10番1号
原告
新キャタピラー三菱株式会社
代表者代表取締役
河井清和
訴訟代理人弁護士
吉原省三
同
小松勉
同
松本操
同
三輪拓也
同
弁理士 中澤直樹
大阪府大阪市西区京町堀一丁目15番10号
被告
東洋運搬機株式会社
代表者代表取締役
平子勝
訴訟代理人弁護士
溝上哲也
主文
特許庁が平成7年審判第6843号事件について平成9年6月20日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1 原告が求める裁判
主文と同旨の判決
第2 原告の主張
1 特許庁における手続の経緯
被告は、発明の名称を「トラクターシヨベルの作業時迅速変速装置」とする特許第1846491号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者である。なお、本件発明の特許は、昭和58年1月12日にされた実用新案登録出願(昭和58年実用新案登録願第2941号)を、平成元年9月14日に特許出願に変更した平成1年特許願第239387号に係るものであって、平成3年4月26日の出願公告(平成3年特許出願公告第30024号)を経て、平成6年6月7日に特許権設定の登録がされたものである。なお、本件発明については、平成6年6月20日に願書添付の明細書を訂正することについて審判請求がされ、特許庁は、これを平成6年審判第10233号事件として審理した結果、同年10月18日に同訂正を認める旨の審決をした。
原告は、平成7年4月4日に本件発明の特許を無効にすることについて審判を請求した。特許庁は、これを平7年審判第6843号事件として審理した結果、平成9年6月20日に「本件審判請求は、成り立たない。」との審決をし、同年7月2日にその謄本を原告に送達した。
2 本件発明の特許請求の範囲(別紙図面A参照)
車速を制御する変速機の手動切替が複数の流体圧クラツチの断続により行われ、各流体圧クラツチをそれぞれ単独に作動する複数の電磁弁が設けられたトラクターシヨベルにおいて、前記各電磁弁への通電を制御する変速スイツチ群が設けられるとともに、そのスイツチ群のうちの前進スイツチおよび2速スイツチの動作状態で2速用電磁弁への通電を即座に断ち1速用電磁弁へ即座に通電するように切替える切替スイツチがシヨベル操作用コントロールレバーの握り部に付設され、また前記前進スイツチ、2速スイツチおよび切替スイツチの動作状態で後進スイツチを投入すると1速用電磁弁への通電を即座に断ち2速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイツチおよび後進スイツチに切替えられる連動手段が設けられたことを特徴とするトラクターシヨベルの作業時迅速変速装置。
3 審決の理由
別紙審決書の理由写しのとおり(ただし、23頁16行及び26頁13行の「甲第1号証」を、いずれも「甲第4号証」に改める。)
4 審決の取消事由
審決は、訂正後の明細書(以下「本件明細書」という。)の記載に不備はないと誤って判断し、かつ、英国特許第2085535号公開公報(以下「引用例」という。)の技術内容を誤認して、相違点の判断を誤った結果、原告の特許無効審判請求を退けたものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)本件明細書の記載不備について
審決は、原告主張の理由Ⅰ(明細書の記載不備)によっては本件発明の特許を無効にすることはできない旨判断している。
しかしながら、本件明細書の特許請求の範囲記載の「連動手段」の構成は、発明の詳細な説明記載の「連動手段」の構成とは、技術的意義を明らかに異にするものである。
すなわち、本件明細書の発明の詳細な説明には、「連動手段(本実施例では連動スイツチ)」(2頁右欄28行)と記載され、連動スイツチが「連動手段」であることが明らかにされている。
一方、本件発明の特許請求の範囲には、「前進スイツチ、2速スイツチおよび切替スイツチの動作状態で後進スイッチを投入すると1速用電磁弁への通電を即座に断ち2速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイツチおよび後進スイツチに切替えられる連動手段」と記載されているから、ここにいう「連動手段」は、実施例に即していえば、連動スイツチ12aだけでなく、前進スイツチ12、2速スィツチ8、切替スイツチ9、後進スイツチ11をも含む一連の機構(すなわち、連動機構A)のことにほかならない。
そうすると、本件発明の要件である「連動手段」について、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載との間には、明らかな矛盾がある。
この点について、審決は、本件明細書の発明の詳細な説明における「連動手段」を特定する事項は明瞭であり、当業者ならば容易に実施できる旨説示しているが、不当である。
(2)相違点の判断の誤り
a 相違点<2>の判断の誤り
審決は、本件発明の要件であるスイツチ群が変速機の手動切替を行うためのものであるのに対して、引用例記載の制御システムは手動切替のためのスイツチ群が不要であることを前提として、スイツチ群のうちの切替スイツチをシヨベル操作用コントロールレバーの握り部に付設することは、当業者であっても、引用例記載の発明から容易に想到できた事項ではない旨判断している。
しかしながら、引用例の記載(1枚目右欄15行ないし21行、1頁67行ないし71行の記載から明らかなように、引用例記載の制御システムにおいても、前進2速から前進1速へのシフトダウンは手動で行われるのであるから、審決の上記前提は誤りである(判決注・引用例には「downshift」の語が使用されているが、日本国内においては「シフトダウン」の語が一般的と考えられるので、これを使用する。)。
そして、引用例記載の強制シフトダウン信号送信器は車両のハンドルの近くに配置されているが、建設機械の操作用コントロールレバーの握り部に、他の動作を行うためのスイツチを付設することは、審判手続における甲第5ないし第7号証の各特許公報に記載されているように、本件発明の特許出願前の公知技術にすぎない。
したがって、相違点<2>に係る本件発明の構成は、当業者ならば容易に想到できたものであるから、相違点<2>に関する審決の判断は誤りである。
b 相違点<3>の判断の誤り
審決は、引用例の(チ)及び(リ)の記載を論拠として、引用例記載の制御システムは、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替えても、意図的に設定されている待ち時間の後に後進2速に切り替わるものであると認定したうえ、この構成は、1速用電磁弁への通電を即座に断ち2速用電磁弁へ即座に通電するように前進スイツチと後進スイツチとを切り替える本件発明の連動手段とは明らかに異なる旨判断している。
しかしながら、引用例の(チ)の記載は、4速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトに関するものであって、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトに関するものではない。
また、引用例の(リ)の記載は、「逆動シーケンスのない通常のスタートにおいて」(3頁34行、35行)、1速で前進中に自動的に2速にシフトアップする場合のギアシフトに関するものであって、これまた強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトに関するものではない(強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合、待ち時間を意図的に設定する必要性は全く考えられない。)。
したがって、審決のように、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトに関する引用例の(ト)の記載と、そのようなギアシフトとは無関係の(チ)、(リ)の記載とを結び付けて、引用例記載の技術内容を認定することは誤りである。そして、引用例記載の発明の技術内容は、審決認定の(ト)(1欄51行ないし58行)及び特許請求の範囲(3頁125行ないし4頁4行)に記載されているとおり、
「方向指令値信号が反対方向を指示するように切り替えられると、逆転信号を逆転ギア制御手段に送って逆転ギアに切り替えると同時に、同信号を駆動ギア制御手段に送って、強制シフトダウン機能を禁止し、次段の最低段の駆動ギアに切り替える」
制御システムと捉えられるべきである。
そうすると、相違点<3>に係る本件発明の構成は、相違点<3>に係る引用例記載の発明の構成と同一であり、少なくとも、当業者ならば引用例の記載から容易に想到できたものにすぎないから、相違点<3>に関する審決の判断も誤りである。
この点について、被告は、引用例に記載されているのは逆転信号を逆転ギア制御手段と駆動ギア制御手段の双方へ同時に送ることであって、コンピュータの演算時間の遅れを考えれば、逆転ギアの切替えと強制シフトダウン機能の禁止は即座に行われるわけではない旨主張する。
しかしながら、逆転信号の伝達は極めて簡単なロジックであって、コンピュータが瞬時に処理できるものであるから、逆転信号が逆転ギア制御手段に送られれば即座に逆転ギアの切替えが行われ、同時に、逆転信号が駆動ギア制御手段へ送られれば即座に強制シフトダウン機能の禁止が行われると解すべきである。要するに、相違点<3>に係る構成において、本件発明と引用例記載の発明との間に有意の差異はありえないのである。
第3 被告の主張
原告の主張1ないし3は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は、正当であって、これを取り消すべき理由はない。
1 本件明細書の記載について
原告は、本件発明の要件である連動手段の構成について、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載との間には矛盾がある旨主張する。
本件明細書の発明の詳細な説明における「連動手段(本実施例では連動スイツチ)」(2頁右欄28行)という記載が不正確であることは争わない。
しかしながら、本件明細書の発明の詳細な説明(2頁左欄28行ないし35行、右欄14行ないし19行)には、実施例における連動手段の構成及びその作用が記載されている。
これらの記載をみれば、当業者は本件発明の要件である連動手段の構成を明確に特定でき、容易に実施をすることができる。したがって、本件明細書に記載不備があるということはできないとした審決の判断に誤りはない。
2 相違点の判断について
(1)相違点<2>の判断について
原告は、引用例記載の強制ダウンシフト信号器が車両のハンドルの近くに配置されていることを前提として、建設機械の操作用コントロールレバーの握り部に、他の動作を行うスイッチを付設することは公知技術である旨主張する。
しかしながら、引用例には、1個の多機能制御器としての方向選択制御器と強制ダウンシフト信号器を「next tothe steering wheel」(1頁81行)、すなわち、ハンドルの「隣りに」配置することが記載されているのであるから、原告主張の上記前提は誤りである(すなわち、引用例記載の制御システムにおいては、シヨベル操作用コントロールレバーを握っている手でシフトダウンを行うことは、意図されていないのである。)。
この点について、原告は、審判手続における甲第5ないし第7号証の各特許公報を援用する。
しかしながら、これらの特許公報には、いずれも独立した機能(前進と後進の切替え、エンジンガバナーの操作、リフトアームの上下動切替え)を行うスイッチを、シヨベル操作用コントロールレバーの握り部に付設することが記載されているにすぎない。すなわち、これらの特許公報記載の技術的思想は、協働して変速機能を行うスイツチ群のうち、切替スイツチのみを切り離して、シヨベル操作用コントロールレバーの握り部に付設する本件発明の技術的思想とは無縁のものというべきである。
(2)相違点<3>の判断について
原告は、引用例記載の発明の技術内容は、審決認定の(ト)及び特許請求の範囲に記載されているとおり、「方向指令値信号が反対方向を指示するように切り替えられると、逆転信号を逆転ギア制御手段に送って逆転ギアに切り替えると同時に、同信号を駆動ギア制御手段にも送って、強制シフトダウン機能を禁止し、次段の最低段の駆動ギアに切り替える」と捉えられるべきである旨主張する。
しかしながら、引用例の当該部分は、「方向指令値信号が反対方向を指示するように切り替えられると、逆転信号が、逆転ギアに切り替えるために(means for changing over the reversing gear)逆転ギア制御手段に送られると同時に、強制シフトダウン機能を禁止し、次段の最低段の駆動ギアに係合するために(means for inhibiting the forced downshift function and engaging the next low-est drive gear)駆動ギア制御手段にも送られる」と訳されるべきである。要するに、引用例に記載されているのは、逆転信号を逆転ギア制御手段と駆動ギア制御手段の双方へ同時に送ることであって、コンピュータの演算時間の遅れを考えれば、逆転ギアの切替えと強制シフトダウン機能の禁止は即座に行われるわけではない。
そして、審決認定の(チ)、(リ)の記載は、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合にも妥当するから、引用例記載の制御システムは、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替えても、意図的に設定されている待ち時間の後に後進2速に切り替わるものであるとした審決の認定に誤りはない(なお、(リ)の「a time circuit(not shown here),in the drive gear control means 2 for example」(3頁56行ないし58行)の記載を、審決説示のように「例えば、駆動ギア制御手段2にタイマ回路がある場合」と翻訳するのは不正確であって、「例えば駆動ギア制御手段2にある、タイマ回路」と翻訳すべきである。すなわち、引用例記載の制御システムにおいては、タイマ回路は不可欠のものである。)。
この点について、原告は、審決認定の(チ)及び(リ)の記載は強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトに関するものではない旨主張する。
しかしながら、(チ)及び(リ)記載の技術内容は、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトにも共通するものであって、これらを原告主張のように限定的に解しなければならない理由はない。特に、(リ)記載の技術内容は、望ましくない頻繁な変速(チャタリング)を避けるためのものであるが、これが、1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトにも共通することに疑問の余地はない。
理由
第1 原告の主張1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の特許請求の範囲)及び3(審決の理由)は、被告も認めるところである。
第2 甲第2号証の3(特許訂正明細書)によれば、本件発明の概要は次のとおりと認められる(別紙図面A参照)。
1 技術的課題(目的)
本件発明は、トラクターシヨベル作業時の迅速変速装置に関するものである(1頁左欄下から17行、16行)。
従来のトラクターシヨベルは、別紙図面Aの第3図に図示されているように、車体1の後部に設けた機関2の駆動力を伝達する変速機3を車体1の下部中央に設け、この変速機3を制御するコントロールレバー4は、シヨベル操作用コントロールレバー5とは離れた位置に設置したものであった(1頁左欄下から14行ないし8行)。
ところで、トラクターシヨベルは、土砂に突っ込む直前までは2速で前進し、突っ込む直前に(大きな突込み力を得るため)2速から1速にシフトダウンすると同時に、シヨベル操作用コントロールレバー5を操作しなければならない。また、後進時にも、1速から2速にシフトアップする必要がある。しかしながら、これらの操作は複雑であって、熟練を要するという問題点がある(1頁左欄下から6行ないし右欄下から19行)。
本件発明は、従来技術の上記問題点を解決して、前進突込み時は、シフトダウンしながらショベル操作用コントロールレバーを操作することを可能にするとともに、土砂をすくい込んだ後の後進時は、後進スイツチをオンにするだけでシフトアップするようにして、簡単に運転操作できるトラクターショベルの変速装置を提供することである(1頁右欄下から18行ないし13行)。
2 構成
上記の目的を達成するために、本件発明は、その特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(1頁左欄下から27行ない右欄下から20行)。
3 作用効果
本件発明の構成によれば、前進スイツチ及び2速スイツチをオンにすれば、トラクターは2速で土砂に向かって前進するが、その後、シヨベル操作用コントロールレバーを握りながら切替スイツチを押せば、車速は2速から1速にシフトダウンする(2頁左欄6行ないし12行)。すなわち、運転者は、シヨベル操作用コントロールレバーを握っている一方の手で、同レバーに付設されている切替スイツチをオンにするだけで、前進2速から即座に前進1速にシフトダウンすることができる(2頁右欄21行ないし25行)。
また、土砂をすくい終えてトラクターを後進させるときは、後進スイツチをオンにするだけで、車速は2速にシフトアップする(2頁左欄13行ないし16行)。すなわち、シヨベル操作が終了したときは、他方の手で後進スイツチをオンにするだけで、即座に後進2速にシフトアップすることができる。このように、本件発明は、運転者の熟練度に関係なく、簡単な操作で、迅速に必要なギアシフトを可能にするものである(2頁右欄25行ないし31行)。
第3 そこで、原告主張の審決取消事由の当否について検討する。
1 本件明細書の記載について
原告は、本件発明の要件である「連動手段」について、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載との間には矛盾がある旨主張する。
しかしながら、本件発明の特許請求の範囲には、前記のとおり、「前進スイツチ、2速スイツチおよび切替スイツチの動作状態で後進スイツチを投入すると1速用電磁弁への通電を即座に断ち2速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイツチおよび後進スイツチに切替えられる連動手段」と記載されているから、本件発明の要件である「連動手段」の構成は一義的に明確である。
さらに、甲第2号証の3によれば、本件明細書の発明の詳細な説明には、
a 「前進スイツチ12、第2速スイツチ8および切替スイツッチ9の閉状態で後進スイツチ11を投入すると1速用電磁弁19への通電を断ち2速用電磁弁20へ通電するように前記前進スイツチ12および後進スイツチ11に切替えられる連動スイツチ12aが設けられている。また、該連動スイツチ12aは、前記前進スイッチ12および後進スイッチ11が互いに開閉が逆になる連動機構Aで該両スイッチ12、11に連動連結されている」(2頁左欄28行ないし35行)
b 「土砂をすくい込み、車両を後退するときは、後進クラツチを接続するために後進スイツチ11に切替えると、その連動機構Aを介して前進スイツチ12と連動スイツチ12aとが開き、リレー16の回路が切れ、A接点17が開き、B接点18が閉じて再び2速に復帰する。」(2頁右欄14行ないし19行)
と記載されていることが認められる。
これらの記載によっても、本件発明の要件である「連動手段」の構成とその作用は明確であるということができる。
原告の前記主張は、発明の詳細な説明に「後進スイツチを投入するだけで、連動手段(本実施例では連動スイツチ)が働き、車両を後進の2速へ即座に切替えができ」(2頁右欄27行ないし29行)との記載を論拠とするものである。しかしながら、上記a、bの記載を全く無視し、この記載のみから、本件発明の要件である「連動手段」は連動スイツチのことであると解するのは不合理といわざるをえない。
したがって、本件明細書の記載に不備があるということはできないとした審決の判断は、是認しうるものである。
2 相違点<2>の判断について
審決は、スイツチ群のうちの切替スイツチをシヨベル操作用コントロールレバーの握り部に付設することは、引用例記載の発明から容易に想到できた事項ではない旨判断している。審決の上記判断は、本件発明の要件であるスイツチ群が変速機の手動切替を行うためのものであるのに対して、引用例記載の制御システムは手動切替のためのスイツチ群が不要であることを論拠とするものである。
この点について、原告は、引用例記載の制御システムにおいても、前進2速から前進1速へのシフトダウンは手動で行われる旨主張する。
検討すると、甲第4号証によれば、引用例には、
a 「車両の速度が2速ギアの作動範囲であることを条件として、駆動ギア制御手段(2)へ強制シフトダウン信号を送信する選択レバー(12)のマニュアル操作により、1速ギアに繋ぐことができる。」(1枚目右欄15行ないし21行)
b 「強制シフトダウン信号器は、オペレータのマニュアル操作に基づいて、直ちに強制シフトダウン信号を発生させる。」(1頁44行ないし46行、3頁118行ないし120行)
c 「1速ギアは、基本的に(中略)自動制御によってシフトダウン信号がギアボックスに送られるよりも、オペレータの操作によるシフトダウン操作の方が迅速に行うことができる。」(1頁67行ないし71行)
と記載されていることが認められる(別紙図面B参照)。
そうすると、引用例記載の制御システムにおいても、前進2速から前進1速へのシフトダウンは手動で行うことも予定されているといえるから、審決の上記論拠は理由がないといわざるをえない。
そして、甲第4号証によれば、引用例には、
d 「ホイールローダのような車両の実用的な配置は、ハンドルの近くに、多機能制御器としての方向選択制御器と強制ダウンシフト信号器を配置することである。そうすれば、オペレータは、片手でハンドルと(中略)強制ダウンシフト信号器を操作することができる。」(1頁78行ないし84行)
と記載されていることが認められる(なお、被告は、上記記載における「next to the steering wheel」は、ハンドルの「隣りに」と翻訳すべきである旨主張するが、「ハンドルの近くに」との間に有意の差異があるとは考えられない。)。
一方、甲第5号証によれば、昭和46年特許出願公告第36731号公報には、産業用車両用後退機構において、「動力装置を付勢する付勢装置」の「作動を行うための手動装置」を、「積込部材の運動を制御するためのレバー」に装着することが記載されていると認められる(6欄29行ないし33行。別紙図面C参照)。
そうすると、引用例記載の制御システムにおいて、「ハンドルの近くに」(あるいは、「ハンドルの隣りに」)配置されている強制シフトダウン信号器を、シヨベル操作用コントロールレバーの握り部に付設する程度のことは、当業者ならば容易になしえた設計変更にすぎないというべきである。
この点について、被告は、甲第5号証の特許公報記載のスイツチ(手動装置)は独立の機能を行うものであるのに対して、本件発明の要件である切替スイツチは協働して変速機能を行うスイツチ群の1つであることを指摘するが、このことが、上記設計変更を特に困難なものとする理由足り得るとは考えられない。
したがって、相違点<2>に関する審決の判断は、誤りである。
3 相違点<3>の判断について
審決は、引用例記載の制御システムは、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替えても、意図的に設定されている待ち時間の後に後進2速に切り替わるものであると認定したうえ、この構成は、1速用電磁弁への通電を即座に断ち2速用電磁弁へ即座に通電するように前進スイツチと後進スイツチとを切り替える本件発明の連動手段とは明らかに異なる旨判断している。審決の上記判断は、引用例の(チ)及び(リ)の記載を論拠とするものである。
この点について、原告は、(チ)及び(リ)の記載は強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトに関するものではない旨主張するので、以下検討する。
(1)引用例の(チ)の記載の技術内容
甲第4号証によれば、引用例の(チ)の記載は、次のようなものであることが認められる。
「運転者は、走行方向を変更したいときは選択レバー12を動かす。(中略)第1比較器19は直ちに、逆転信号を、(ライン20、21を経由して)駆動ギア制御手段2と逆転ギア制御手段5の双方へ送る。4速ギアが係合されている状態ならば、駆動ギア制御手段2は、3速ギアへのシフトダウンを行う。また、逆転ギア制御手段5は、第2比較器26からの実行信号が受信されておれば(すなわち、車両の速度が25km未満であれば)、逆転ギアへのギアチェンジを行う。もし上記のような状態でなければ、逆転ギアへのギアチェンジを行わないまま、速度が25km未満になるまで、3速ギアでの減速のみが行われる。(中略)4速ギァから3速ギアへのシフトダウンは、4速ギアで長時間減速することによって生ずる、トルクコンバータの加熱を防止するためであって、25km未満の速度においてのみ逆転ギアへのギアチェンジを行うことが、トルクコンバータの加熱を防止するのである。このような減速が行われている間、逆転信号はライン20に保持されているので、駆動ギア制御手段2も、駆動ギアの係合状態をそのまま保持している。すなわち、運転者が逆転信号を発したとき、もし3速ギアあるいは2速ギアが係合しているならば、減速が行われている間は、3速ギアあるいは2速ギアそれぞれの係合状態が保持されるのである。そして、速度が0まで落ちると、(中略)第3比較器29が、駆動ギア制御手段2に対し(ライン30を経由して)スタート信号を送る結果、新たな走行方向(逆転方向)へのスタート手順として、2速ギアが係合されるのである。」(2頁121行ないし3頁33行)。
このように、引用例の(チ)の記載においては、4速で走行中に逆転信号が発せられた場合のギアシフト、及び、3速又は2速で走行中に逆転信号が発せられた場合のギアシフトが述べられているのであって、強制シフトダウンにより1速で走行中に逆転信号が発せられた場合のギアシフトは何ら述べられていない。
(2)引用例の(リ)記載の技術内容
甲第4号証によれば、引用例の(リ)の記載は、次のようなものであることが認められる。
「このような方法で1速ギアへのシフトダウンが行われた後、タイマ回路(図示しない。例えば、駆動ギア制御手段2中のもの)は、2速ギアへの自動的なシフトアップが、所定の時間(例えば、5秒)以内には生じないような処理を行う。」(3頁55行ないし60行)
しかしながら、甲第4号証によれば、引用例の上記(リ)の記載は、引用例の3頁43行から始まるパラグラフの後半であって、同パラグラフの前半は、
「オペレータが、例えば、バケットを充填するために大きな馬力を得ようとして、1速ギアに係合したいときは、選択レバー12によって強制シフトダウン信号表示器11を作動させる。そうすると、強制シフトダウン信号が(ライン37を経由して)駆動ギア制御手段2へ送られ、駆動ギア制御手段2は(ライン40に実行信号が送られていること、すなわち、車両の速度が2速ギアの作動範囲にあることを条件として)1速ギアへのシフトダウンを行う。もし車両の速度が速すぎるときは、1速ギアへのシフトダウンが行われる前に、(2速ギアの)上限速度未満までの減速が行われなければならない。」(3頁43行ないし55行)
というものであることが認められる。
そうすると、引用例の上記(リ)の記載が、1速で前進中に自動的に2速ヘシフトアップする場合の説明であることに疑問の余地はなく、同記載にも、強制シウトダウンにより1速で走行中に逆転信号が発せられた場合のギアシフトは何ら述べられていないのである。
(3)一方、甲第4号証によれば、引用例の(ト)には、被告主張のとおり、次のような記載があることが認められる。
「方向指令値信号が反対方向を指示するように切り替えられると、逆転信号が、逆転ギアに切り替えるために逆転ギア制御手段に送られると同時に、強制シフトダウン機能を禁止し、次段の最低段の駆動ギアに係合するために駆動ギア制御手段にも送られる」(1頁51行ないし58行)
そして、甲第4号証によれば、上記(ト)の記載は、審決認定の引用例の(ホ)の記載、すなわち、「強制シフトダウン信号は、(中略)駆動ギア制御手段を、最低段の駆動ギア(1速ギア)に係合するようにする。」(1頁46行ないし48行)を受けるものであって、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトを述べたものであることに疑問の余地はない。
そうすると、引用例の(ホ)、(ト)の記載は、相違点<3>に係る本件発明の構成と全く同一の構成を開示するものとはいえないが、これを強く示唆する記載ということができる。これに対して、(チ)及び(リ)の記載は、前記のとおり、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合のギアシフトとは関わりのないものであるから、引用例記載の技術内容を「1速で走行中に、逆方向に切り替えても、速度が0にならないと2速にならないものであって、さらには、1速後所定の時間の待ち時間後でないと2速にならないものであって、いずれの場合も、意図的な待ち時間を組み入れたもの」と認定し、これを前提としてされた相違点<3>に関する審決の判断は誤っており、この誤りは、本件発明の進歩性を肯定した審決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるといわざるをえない(技術的に考えても、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合、後進の発進を遅延させる必要性はほとんど考えられない。かえって、甲第8号証によれば、社団法人日本建設機械化協会編「建設機械施行技術検定テキスト」(株式会社日刊建設通信新社昭和48年5月30日発行)には、「断崖や土砂くずれのおそれのあるところで作業する場合は、(中略)危険のあるときはす早く方向転換レバを切換えて逃がれる。」(217頁8行、9行)と記載されていることが認められるから、強制シフトダウンにより1速で前進中に後進に切り替える場合に待ち時間を設定することの妥当性は疑問である。)。
この点について、被告は、引用例に記載されているのは、逆転信号を逆転ギア制御手段と駆動ギア制御手段の双方へ同時に送ることであって、コンピュータの演算時間の遅れを考えれば、逆転ギアの切替えと強制シフトダウン機能の禁止は即座に行われるわけではない旨主張する。
しかしながら、逆転信号の伝達は極めて簡単なロジックであって、コンピュータが瞬時に処理できるものと考えられるから、相違点<3>に係る構成において、本件発明と引用例記載の発明との間に有意の差異は存在しないというべきである。
4 以上のとおりであるから、原告主張の無効理由Ⅰは失当であるが、無効理由Ⅱは正当である。
したがって、本件発明の特許を無効にすることについてされた原告の審判請求を退けた審決は、違法なものとして、取消しを免れない。
第4 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は、正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結日 平成11年3月16日)
(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 春日民雄 裁判官 宍戸充)
別紙図面A
<省略>
第1図は、本発明実施例の作業時迅速変速装置を示す電気回路図、第2図は、本発明実施例に係る切替スイツチを示す断面図、第3図は、従来の変速装置を有するトラクターシヨベルの側面図である。
5:シヨベル操作用コントロールレバー、6:電磁弁、7:変速スイツチ群、8:第2速スイツチ、9:切替スイツチ、10:握り部、11:後進スイツチ、12:前進スイツチ、12a:連動スイツチ、13:1速スイツチ、A:連動機構、16:リレー。
別紙図面B
<省略>
別紙図面C
<省略>
理由 <7-6843>
1. 手続の経緯
本件特許第1846491号の発明(以下、「本件特許発明」という。)は、出願日が昭和58年1月12日である実願昭58-2941号を平成1年9月14日に特許出願に変更したものであって、平成3年4月26日に特公平3-30024号として出願公告された後、平成4年3月10日付けの手続補正書で補正され、平成5年9月16日に設定登録されたものであり、その後訂正明細書のとおり訂正することを求めた審判請求(平成6年審判第10233号)を認める審決がなされた。
2.請求人の主張
請求人の主張の概要は、次の理由Ⅰ及び理由Ⅱに示すとおりである。
(1)理由Ⅰ
本件特許は、次の<1>及び<2>の項目のように、明細書の特許請求の範囲は不明瞭なものであると共に、発明の詳細な説明に記載した構成に欠くことができない事項が記載されているといえず、また発明の詳細な説明にも対応していないのでそれらの記載から当業者が容易に実施できるものでもなく、特許法第36条第4項又は第5項に規定する要件を満たしていないから、本件特許は、特許法123条第1項第3号の規定により無効とされるべきである。
<1> 特許請求の範囲に記載された「切替スイノチ」は、「前進スイノチおよび二速スイノチの動作状態で二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するように切替える」ものとして記載されているが、本件特許が得ようとする効果を作用的に言葉を換えて表現したに過ぎず、そのような作用を生じさせる構成(回路)が示唆すらされていないので、構成が不明瞭である。
<2> 特許請求の範囲に記載された「連動手段」は、前進スイノチをONとすると後進スイノチをOFF、前進スイノチをOFFとすると後進スイノチをONとするような「前進スイノチと後進スイノチとの相互切替に係る連動機構」と解されるが、「前進スイノチ、一速スイノチ及び切替スイノチの動作状態で後進スイノチを投入すると一速川電磁弁への通電を即座に断ち二速電磁弁へ即座に通電するように」と記載されており、本件特許の効果を作用的に言葉を換えて表現したもの、ないし願望としての作用を記載したに過ぎず、構成が不明瞭である。さらに、「連動手段」は、実施例においては連動スイノチ12aとも連動させた「連動機構A」に他ならないが、発明の詳細な説明では連動スイノチ12aとしていて、特許請求の範囲の記載から把握される「連動手段」と一致しないから、構成が不明瞭である。
(2)理由Ⅱ
仮に上記理由Ⅰで無効とされないとしても、本件特許発明は、その出願前に頒布された刊行物である甲第4号証及び甲第7号証に記載された発明に基いて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条の規定により特許を受けることができないものであるから、本件特許は、特許法第123条第1項第1号の規定により無効とされるべきである。
<証拠方法>
甲第1号証 本件特許に係る出願経過書類
甲第1号証の1 平成2年9月1日付意見書
甲第1号証の2 平成4年3月10日付特許異議答弁書[対小松メノク社]
甲第1号証の3 平成4年3月10日付特許異議答弁書[対小松製作所社]
甲第1号証の4 平成4年3月10日付特許異議答弁書[対川崎重工業社]
甲第2号証 「マグローヒル科学技術用語大辞典」
株式会社日刊工業新聞社昭和
54年3月20日発行
内表紙、P677、奥付
甲第3号証 「新版 電気術語事典」
株式会社オーム社昭和46年9月25日発行
内表紙、P45、奥付
甲第4号証 英国GB第2085535A号公開公報及び翻訳文
甲第5号証 特公昭46-36731号公報
甲第6号証 特公昭48-8081号公報甲第7号証 特開昭56-16738号公報
3 理由Ⅰに関する当審の判断
(1)<1>の項目について
特許請求の範囲における「二速スイノチの動作状態で二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するよう切替える切替スイノチ」という記載は、該「切替スイノチ」の操作により、発明の詳細な説明に記載されているような回路等によって「二速スイノチの動作状態で二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するよう切替える」機能を有するものであることを特定するものと解することができ、このような機能を逹成することができる回路、リレーやスイノチ等の実施の態様が発明の詳細な説明に記載されていて、且つ、特許請求の範囲と発明の詳細な説明に記載された用語の対応関係が不明瞭なものでもないので、この記載を不明瞭な記載とすることはできない。
なお、請求人は、「二速スイノチの動作状態で二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するよう切替える」という表現は、本件特許発明の効果の裏返しであり、このような効果の裏返し的記載は認められない」旨主張しているが、この表現によっても、技術的事項を把握することが容易に可能であり、且つ、当業者にとって実施例として示された具体的な構成によって把握される技術的事項を容易に実施することかできると認められるから、構成の記載が不十分であるとも、当業者か容易に実施できる程度に記載さにていないともすることができない。
(2)<2>の項目について
「前進スイノチ、一速スイノチ及び切替スイノチの動作状態で後進スイソチを投入すると一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイノチおよび後進スイノチに切替えられる連動手段」という表現は、この表現自体から、「連動手段」か「前進スイノチ、一速スイノチ及び切替スイノチの動作状態で後進スイノチを投入すること」と連動、すなわち、特定の関連をして、「一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイノチおよび後進スイノチに切替える」ことができる機能を有するものと解することができるので、連動手段の関連構成が記載されていないとするととができない。
また、上記表現が効果の裏返しであったとしても、この表現によっても、技術的事項を把握することが容易に可能であり、且つ、当業者にとって実施例として示された具体的な構成によって把握される技術的事項を容易に実施することができると認められるから、構成の記載が不十分であるとも、当業者が容易に実施できる程度に記載されていないともすることができない。
さらに、「連動手段」、「連動スイノチ12a」、「連動機構A」の関連について、発明の詳細な説明に「連動手段(本実施例では連動スイノチ)」と記載されているが、「前進スイノチ、一速スイノチ及び切替スイノチの動作状態で後進スイソチを投入すると一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイノチおよび後進スイノチに切替えられる」ものは、実施例では、「連動スイノチ12a」のみでなく、「連動機構A」や「リレー16」も含まれ、前記発明の詳細な説明の記載「連動手段(本実施例では連動スイノチ)」
は、必ずしも適切ではないが、「連動手段」を特定する事項が明瞭であり、且つ、当業者にとって詳細な説明及び図面に記載された事項により容易に実施できるものと認められるので、これを以て、請求人が主張するような明細書の記載に不備かあるとすることができない。
なお、請求人は、「第2図の切替スイソチ9の機械的構成では、ダウンシフト作業時はスイッチ押釦9aを押し続けなければ、スイッチ押釦9aを離すと一速のダウンシフト機能が解除されるので、この構成で構成要件Dを成立させようとすれば、ハンドルから両手が離れてしまう危険が生じる」旨主張しているが、発明の詳細な説明及び図面に記載された構成の限りでは、後進スイッチ12を入り状態にするとき、ハンドルから両手が離れてしまうことが考えられるが、本件発明が問題としているシフトダウン時の効果や後進の迅速性に格別支障が生じるものではないので、これを以て、請求人が主張するような明細書の記載に不備があるとすることができない。
してみると、「本件特許は、明細書の特許請求の範囲は不明瞭なものであると共に、発明の詳細な説明に記載した構成に欠くことができない事項が記載されているといえず、また発明の詳細な説明にも対応していないのでそれらの記載から当業者が容易に実施できるものでもなく、特許法第36条第4項又は第5項に規定する要件を満たしていない」とすることができない。
したがって、請求人が主張する理由Ⅰによっては、本件特許を無効とすることができない。
4.理由Ⅱに関する当審の判断
(1)本件特許発明の要旨
本件特許発明の要旨は、本件特許の訂正明細書及び図面の記載に格別な不備のないことが上記3の説示のとおりであるから、同明細書及び記載からみて、特許請求の範囲に記載された次のとおりのものと認める。
「車速を制御する変速機の手動切替が複数の流体圧クラッチの断続により行われ、各流体圧クラッチをそれぞれ単独に作動する複数の電磁弁が設けられたトラクターショベルにおいて、前記各電磁弁への通電を制御する変速スイッチ群が設けられるとともに、そのスイッチ群のうちの前進スイッチおよび二速スイッチの動作状態で二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するように切替える切替スイッチがショベル操作用コントロールレバーの握り部に付設され、また前記前進スイッチ、二速スイッチおよび切替スイッチの動作状態で後進スイッチを投入すると一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイッチおよび後進スイッチに切替えられる連動手段が設けられたことを特徴とするトラクターショベルの作業時迅速変速装置。」
なお、請求人が提出した甲第1号証の各証拠(1~4)を参酌しても、上記本件特許発明の要旨の認定を変更するものではない。
(2)甲第4号証乃至甲第7号証の記載
甲第4号証乃至甲第7号証には、それぞれ次の事項が記載されている。
<甲第4号証>
パワートランスミッションの制御システムに関する発明が記載されていて、(イ)「この発明は、駆動用エンジンと駆動車軸との間で動力伝達装置を制御する制御システムに関し、トルクコンバータと自動ステップギアボックス(4、7)を有し、このシステムは、特に、ホイールローダのような建設車両のためのものである。」(要約中欄第14~21行)、(ロ)「この「ギヤボックス」は、駆動軸へ伝達されるトルクを変える少なくとも2つの駆動ギヤ、すなわち負荷と回転速度などのエンジンパラメーターに基づいて自動的に切り換え制御される駆動ギアと、オペレータのマニュアル操作によって作動する「方向選択制御器」により逆転制御され駆動車軸の回転方向を変更する逆転ギアとを有する。」(明細書第1頁第19~28行)及び(ハ)「2図は、ローダーのギアボックスTを制御する電気制御装置1を点線で囲んだ矩形枠で示す。この目的のために、前記制御装置は駆動ギア制御手段2を有し、この駆動ギア制御手段2は第一出力3を介してソレノイド等に接続され、ギアボックスの駆動ギアに付設したカップリング又はブレーキ4を作動させる。制御装置1はまた、逆転ギア制御手段5を有し、この逆転ギナ制御手段5は、第2出力6を介してソレノイド等に接続され、そのギアボックス逆転ギアに付設したカップリング及びブレーキ7を作動させる。」(明細書第1頁第110~121行)の記載からみて、「ギアボックスが負荷等に応じて自動的に制御されるものであって、制御装置1は駆動ギア制御手段2、逆転ギア制御手段5を有し、出力3、6を介してカップリング及びブレーキ7を作動するためのソレノイドに接続されている動力伝達装置を制御する制御システムを有するホイールローダーのような作業車両」が記載されていて、
そして、(ニ)「その上限速度は、二速段ギアの領域の上限と同じになるように適切に選択される。この比較器38は、車両の速度とメモリー39の上限速度とを比較し、その車両の速度がその上限速度より小さい時、比較器38はライン40により、実行信号を駆動ギア制御手段2へ送信する。」(明細書第2頁第89~96行)、(ホ)「前記
「強制ダウンシフト信号送信器」は、前記「駆動ギヤ制御手段」に接続され、「強制ダウンシフト信号送信器」は、オペレータのマニュアル操作に基づいて、直ちに強制ダウンシフト信号を発生させる。この強制ダウンシフト信号が発生すると、その時点で実行信号であれば、最低の駆動ギアに係合させるように、前記「駆動ギア制御手段」は制御する。」(明細書第1頁第42~48行)及び(ヘ)「ホイールローダのような車両の場合の実用的な配置は、ハンドルの近くに、多機能制御器として方向選択制御器と強制ダウンシフト信号器とを配置することである。」(明細書第1頁第78~81行)の記載、「ギアボックス」及び「最低の駆動ギアに係合した状態」が、それぞれ「変速機」及び「第1速」に相当することからみて、「変速機の変速段が自動的に第2速に選択されているときに、オペレータがマニュアル操作にて強制ダウンシフト信号を発生させると、駆動ギア制御手段は第1速を作動させることができる強制ダウンシフト信号送信器が多機能制御器として車両のハンドルの近くに配置されること」が記載されていて、
また、(ト)「そして、方向指令値信号が反対方向を指示するように切り換えられると、逆転ギアに切り換えるために「逆転ギア制御手段」に逆転信号が送られると同時に、強制ダウンシフト機能を禁止し、最低段の次段の駆動ギアを噛み合わせるために「駆動ギア制御手段」に逆転信号が送られる」(明細書第1頁第51~58行)、(チ)「ドライバーが走行方向を変更したい場合、選択レバーを12を動かす。・・・第1比較器19はここで、ライン20により駆動ギア制御手段2へ、そしてライン21により逆転ギア制御手段5へ、逆転信号を送信する。この駆動制御手段2は、四速ギアが結合されている場合、四速ギアから三速ギアへのダウンシフトをおこなわせる。逆転ギア制御手段5は実行信号が第2比較器26から受信されること・・・を条件にして、逆転ギアを係合される。もしそうでない場合、・・・逆転ギアの係合を行うことなく、三速ギアによる減速が最初に生じることになる。・・・四速ギアから三速ギアへのダウンシフトは、トルクコンバータの過熱を生じさせる四速ギアにおける長い減速状態を阻止する。・・・このように、もし、オペレータが逆指令を出した時に、三速ギア又は二速ギアはそれぞれ連続減速中、係合された状態を保つ。
速度が0に落ちると、この事は方向実際値信号もまた0となることにより、・・・この駆動ギア制御手段2は、新たな走行方向のスタート過程のために二速ギアを係合させる。」(明細書第2頁第121行~同第3頁第33行)及び(リ)「このようにして、一速ギアへのダウンシフトが行われた後、例えば、駆動ギア制御手段2にタイマ回路(図示せず)がある場合は、二速ギアへの自動シフトアップが所定の時間内、例えば5秒以内には生じないようにする。」(明細書第3頁第55~60行)の記載、「最低段の次段」が「第2速」に相当することからみて、
「方向指令値信号が反対方向を指示するように切り換えられると、逆転ギアに切り換えるために
「逆転ギア制御手段」に逆転信号が送られると同時に、強制ダウンシフト機能を禁止し、第2速にするために「駆動ギア制御手段」に逆転信号が送られるようになっていて、1速にダウンシフトが行われた後、二速への自動シフトアップが所定の時間内、例えば5秒以内には生じないようになっていて、且つ、オペレータが逆指令を出した時に、三速ギア又は二速ギアはそれぞれ連続減速中、係合された状態を保ち、速度が0に落ちると、「駆動ギア制御手段」は、新たな走行方向のスタート過程のために二速ギアを係合させるようになっているホイールローダーのような車両の変速装置。」が記載されていると認められる。
<甲第5号証>
産業用車両用後退機構に関する発明が記載されていて、「ショベル及びバケットを有する形式の車両積込機に関するものである。」(明細書第1欄第25~26行)、「シリンダ18に21から導入する空気の制御には、レバー11に担持されている押ボタン25を使用する。図示する通り、レバー11はバケット4の上、下動を制御するため運転者が使用する。そのため、運転者は所望のとき押ボタンを押すと同時にバケットの制御も行うことができる。」(明細書第4欄第3~8行)及び「作動レバー9及び変速機制御弁16を後進から前進位置に動かす。」(明細書第4欄第33~34行)の記載からみて、
「運転者が所望のとき車両を後進又は前進させる押ボタンを押すと同時にショベルの制御も行うことができるようにするために、ショベルの上、下動を制御するレバー11に変速機を後進又は前進位置にする制御する押ボタン25を担持させたもの」が記載されていると認められる。
<甲第6号証>
建設機械の操作レバー機構に関する発明が記載されていて、「管状をなした操作レバーの上端側内部にエンジンガバナ用の操作子を昇降動自在に嵌装したので、・・・上記建設機械の高頻度作動機械部とエンジンガバナのコントロールを1本の操作レバーで行うことができ、・・・そのレバー操作を簡素化するうえで大きな実用的効果を奏する。」(明細書第2欄第28~38行)と記載されでいる。
<甲第7号証>
フロントローダにおける昇降速度の調節装置に関する発明が記載されていて、「押ボタン(15b)を押下げれば端子(15a)が接点(15c)にて閉じられて・・・、電磁切替弁(19)は液路(17)とスプール(14)を絞りの無い液路にて連通させるので、・・・リフトアーム(2)(2)は速やかに上昇又は下降回動するよう構成する。」(明細書第2頁右上欄第10~19行)と記載されている。
(3)本件特許発明と甲第4号証に記載された発明との対比・判断
本件特許発明と甲第4号証に記載された発明とを対比すると、両者は、少なくとも次の点で相違する。
<1> 本件特許発明では、車速を制御する変速機の手動切替が複数の流体圧クラッチの断続により行われるのに対し、甲第4号証に記載された発明では、変速機が負荷等に応じて自動的に制御されるものである点。
<2> 本件特許発明では、スイッチ群のうちの前進スイッチおよび二速スイッチの動作状態で二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するように切替える切替スイッチがショベル操作用コントロールレバーの握り部に付設されているのに対し、甲第4号証に記載された発明では、変速機の変速段が自動的に第2速に選択されているときに、オペレータがマニュアル操作にて強制ダウン信号を発生させると、駆動ギア制御手段は第1速を作動させることができる強制ダウンシフト信号送信器が多機能制御器として車両のハンドルの近くに配置されている点。
<3> 本件特許発明では、前進スイッチ、二速スイッチおよび切替スイッチの動作状態で後進スイッチを投入すると一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイッチおよび後進スイッチに切替えられる連動手段が設けられているのに対し、甲第4号証に記載された発明では、方向指令値信号が反対方向を指示するように切り換えられると、逆転ギアに切り換えるために「逆転ギア制御手段」に逆転信号が送られると同時に、強制ダウンシフト機能を禁止し、第2速にするために「駆動ギア制御手段」に逆転信号が送られるようになっていて、1速にダウンシフトが行われた後、二速への自動シフトアップが所定の時間内、例えば5秒以内には生じないようになっていて、且つ、オペレータが逆指令を出した時に、三速ギア又は二速ギアはそれぞれ連続減速中、係合された状態を保ち、速度が0に落ちると、「駆動ギア制御手段」は、新たな走行方向のスタート過程のために二速ギアを係合させるようになっている点。
次いで、これらの相違点について検討する。
<相違点<1>について>
この点は、双方の発明の前提となるものの相違であって、本件特許発明では、車速を制御する変速機を手動によって切替えるための操作手段を有し、甲第4号証に記載された発明では、このような操作手段が不要であるものと解することができる。この点が他の相違点とどのように関連するかについては、それぞれの相違点の検討の中で検討することとする。
<相違点<2>について>
本件特許発明における「スイッチ群」は、このスイッチの各々を手で操作して電磁弁、流体圧クラッチを介して変速機を手動切替を行うためのものであることが明らかであり、このように変速機を手動操作するためのスイッチ群のうちの前進スイッチおよび二速スイッチの動作状態、即ち運転者の意図により二速で運転中に運転者の意図により即座に一速に切替えるとき、一速スイッチを直接手で操作することなく、二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するように切替える切替スイッチを別途ショベル操作用コントロールレバーの握り部に付設することは、相違点<1>の検討で説示したように変速機の切替操作のためのスイッチ群が不要な甲第4号証に記載された発明から、当業者であっても容易に想到できるものではない。
請求人は、「建設機械は一般に複数の操作レバーやスイッチ類を有しており、そのような建設機械において、種々のレバー、スイッチの同時操作性を向上させるため、作業部用操作レバー握り部に他の動作を行うスイッチを付設する程度のことは、甲第5号証ないし同7号証に示されているように従来周知なものであり、本件特許発明は、甲第4号証に記載された技術事項に周囲構成を単に組み合わせたものにすぎない」旨主張しているが、本件特許発明における「切替スイッチ」が、「二速用電磁弁への通電を即座に断ち一速用電磁弁へ即座に通電するように切替えるもの」であって、さらに、相違点<3>として摘記したように他の構成と「前進スイッチ、二速スイッチおよび切替スイッチの動作状態で後進スイッチを投入すると一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイッチおよび後進スイッチに切替えられる」ような特定の関係を有するものであるのに対し、甲第4号証乃至甲第7号証に記載されたものが、いずれも「後進又は前進の切り換え」、「エンジンガバナのコントロール」又は「リフトアームの上下動切り換え」といった単独の機能を実施するものであって、他のスイッチ等と特定な関係を有して他のスイッチ独自の機能以外の作用をするものでないから、本件特許発明における「切替スイッチ」は、請求人が周知として提示したものと明らかに相違するばかりでなく、該周知な技術事項から当業者が容易に想到できるものでもない。
<相違点<3>について>
甲第4号証に記載された発明は、変速機が自動的に制御されるものであることから、本件発明のように「前進スイッチ、二速スイッチおよび切替スイッチの動作状態で一速用電磁弁への通電」を行うものでなく、本件特許発明とでは1速を実行する具体的な構成が異なる。
また、甲第4号証には、強制シフトダウンにより1速で走行中に、逆方向に切り換えることについて、直接的に記載したところがないが、記載事項(ト)乃至(リ)を参酌すると、甲第4号証に記載された発明は、強制シフトダウンにより1速で走行中に、逆方向に切り換えるても、速度が0にならないと2速にならないものであって、さらには、1速後所定の時間の待ち時間後でないと2速にならないものであって、いずれの場合も、意図的な待ち時間を組み入れたものと解することができる。
これに対し、本件特許発明における「即座」は、実施例に示されるように意図的な待ち時間を有さないことを意昧すると解されるから、本件特許発明の「前進スイッチ、二速スイッチおよび切替スイッチの動作状態で後進スイッチを投入すると一速用電磁弁への通電を即座に断ち二速用電磁弁へ即座に通電するように前記前進スイッチおよび後進スイッチに切替えられる連動手段」は、意図的な待ち時間を組み入れた甲第1号証に記載された発明のものと明らかに異なる。
なお、請求人は、「甲第4号証において、出願される発明の要旨を示す「請求の範囲」等にタイマーを設けていないから、タイマーが必須の構成でない」旨主張しているが、意図的な待ち時間を設けることが容易な変速機の自動切替を行う甲第4号証に記載された発明において、自動シフトダウンの不都合を強制シフトダウンにより解決することを開示しているにもかかわらず、後退時の待ち時間をなくすることを具体的に技術思想として開示していない以上、これを不都合とし、これを避けようとする動機付けがあったとは認めがたく、タイマーのないものが開示されているとする請求人の主張に合理的な根拠を見いだすことができない。
そして、本件特許発明は、これらの相違点<1>乃至<3>により、「運転者は、荷役時に常に一方の手で握っている荷役コントロールレバーの握りに付設された切替スイッチを動作するだけで、車両を前進二速で土砂に突入したときに即座に前進二速から前進一速へ切替えができ、また、約五ないし数十秒の作業で土砂すくい込を終えたときには、後進に切替るべく、他方の手で後進スイッチを投入するだけで、連動手段が働き、車両を後進の二速へ即座に切替えができ、運転者の熟練度や作業内容が変化しても、常に簡単な操作で迅速に必要な速度段へ制御できるといった効果」を奏することができるのに対し、甲第4号証乃至甲第7号証に記載された発明はこれを奏することができない。
してみると、本件特許発明は、甲第4号証乃至甲第7号証に記載された発明及び周知技術に基いて、当業者にとって容易に発明することができたものとすることができず、特許法第29条第2項の規定により特許受けることができないものでもない。
したがって、請求人が主張する理由Ⅱによっては、本件特許を無効とすることができない。